Blankey Jet City に見るエコとか

2010/01/19

[1] C.B.Jim. Blankey Jet City. 1992年.

エコのこととか考えていたら,なぜか次の歌詞が思い浮かんだのでメモ。多分,どこかで紹介したかもしれないけれど。

悪いひとたち

悪いひとたちはその土地に家を建てて子供を生んだ<?br?>
そして街ができ 鉄道が走り<?br?>
悪いひとたちの子孫は増え続けた<?br?>
山は削られ 川は死に ビルが建ちならび<?br?>
求められたものは発明家と娼婦

すさんだ心を持ったハニー ヨーロッパ調の家具をねだる<?br?>
SEX に明け暮れて 麻薬もやりたい放題<?br?>
つけが回ってくるぜ でもやめられるわけなんかないさ<?br?>
そんなに長生きなんかしたくないんだってさ<?br?>
それを聞いたインタヴュアーがカッコイイっていいやがった

出典はこちらから。

インタヴュアーが「カッコイイ」というところ。そう,多分,エコであれ非エコであれ,乗っかっている場は「カッコイイ」かどうかなんだと思う。だって,こんなによりどころのない行動基準ってないもの。

Blankey Jet City の歌には,ギクシャクと回るけれども,回っているには違いない世界を愛する態度があると思っています。この歌詞でも,悪いひとたちのすることを,善いとも悪いとも言わない。分かりやすい歌の中には,「世界は荒んだもので,ぼくらは生き抜かなければならない」とか,「敵はあいつ(権威的な何か)で俺たちのピュアなハートが正義」みたいな所に落ち込むところがあるけれども,そうした割り切ったところに落ち込まない,宙ぶらりんのところ(迷うべきところ)にしっかりとどまっているところに誠実さを感じたりします。

エコの思想というのは,なんというか,ものすごく象徴的かつ抽象的に表現すると,人の原罪をすべてひっくるめた思想なんじゃないかと思っていたりします(キリスト教的な背景はあまり関係がないんだろうけど)。つまり,この思想は,環境というよりもむしろ,人間とか人類とかいったモノにとりついた思想なわけで,結局のところ,人間観だと思った方がいいのかもしれないということ。仮に明日あたりから地球の温暖化に歯止めがかかって,安定した環境を取り戻したとしても,エコという思想自体は自律的に成立するのだと思う。

そして,こうした人間観/人類観が,まさしく上の歌詞に言う「カッコイイ」だと思うわけで,なんつか,エコって実体のない夢のような思想だと思ったりするわけです。ま,エコ,大事だとは思うんですけど。

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