昨日観た映画 - 『私の中のあなた』

2009/10/12

それだから最高の実践的原理が存在すべきであるならば、すなわち人間の意志に関して定言的命法が存在すべきであるならば、それは――何びとにとっても必然的に目的となるところのもの(そのものがもともと目的自体であるから)の表象を意思規定の客観的原理として、従ってまた普遍的な実践的法則として用いられ得るような原理でなければならない。そしてこの原理の根拠は、理性的存在者は目的自体として存在する、というところにある。人間は、自分自身を必然的にこのような存在と考えているのである。その限りにおいて、この原理は人間の行為に対する主観的原理である。しかしおよそ人間以外のすべての理性的存在者もまた、私に通用するのとまったく同じ理性根拠に従って、自分の存在をこのようなものと考えているのである。それだからこの主観的原理はまた同時に客観的原理でもあり、意志を規定するいっさいの法則は、最高の実践的根拠としてのこの原理から導来せられねばならないのである。それだから実践的命法は、次のようなものになるであろう、――「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」。

[1] 道徳形而上学原論. 改版. カント, 篠田英雄. 岩波文庫. 1976年. pp102-103.

キャメロン・ディアスを久しぶりに映画館で観たんですけれど,良かったです。テーマが重いせいか,あまりお客さんが入っていなかったのが残念。

『私の中のあなた』は,白血病と腎疾患のある姉を助けるためだけに生まれた妹の話。女の子は,姉の移植適合者が見つからないために,人工授精で誕生したのでした。姉の「パーツ」として。設定の段階でちょっとショッキングですね。さらに,年頃になった妹は,いよいよ危なくなった姉を前にして臓器移植を拒否し,移植を進めようとする母親を相手取って裁判を起こすことになります。

生命/身体に対する自己決定といった,極めて個人的な問題について,司法をはじめとした「他人」は,一般原則の名の下にどこまで介入することができるのか。また,生命倫理上の問題として,人工的な延命の手段はどこまで許されるのか。はたまた,そうした困難で理不尽な状況を背負った家族は,どのように快復できるのだろうか,などなど。いろいろと見所があります。もちろん,単純に,泣ける話として観てもいいんだと思います。

個人的に本作については,上のような問題を提起した段階で,ほぼ作品としての役割を終えていたんじゃないかと思います。全体の話の流れからすると,無理矢理きれいな結末に持っていった感が否めません。それでもなお,ストーリーにこだわるなら,弟のジェシーの心の動きにスポットを当てて観るといいと思います。一人で夜の街を歩くジェシー。当事者なんだけれども当事者になりきれない,中途半端な立ち位置にいる彼が,あたしゃかわいそうでかわいそうで……。

My Sister's Keeper Judi Picoult Simon + Schuster Inc. 2007

一方,原作の「My Sister's Keeper」は,もっとドロドロしているらしく,エンディングも結構大変なことになるみたい。映画と一緒に読みたいところ。

ちょっと足を踏み外すと,昼ドラ調のドロドロドラマになりそうなんもんなんですけれど,そこら辺はうまくまとまっていたと思います。おすすめ。

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