今読んでる本 - 『人間の条件』

2009/09/26

数年前からアレントがブームのようで,本を読んでも雑誌/新聞の記事を読んでも,はたまたブログを読んでも,「アレントはこう言った」みたいな話が普通にあります。

で,奇妙なのは,アレントを引き合いに出している人の論旨が相互に矛盾していること。アレントの言説が一貫しているのだとすると(そうだろうが),誰かが誤読していることになります。みんな誤読してるのかもしれないけど。また,アレントを引き合いに出して,現実離れしたトンデモな結論を主張する論者もいる。ほんとにそんなこと言ってたっけ,と。まさか,読んでないのに引き合いに出しているってことはないだろうけど。

と,そんなこんなで,この頃は,とりあえずアレントを引き合いに出す人の話が,無条件で胡散臭く映るようになってしまいました。同様に,デリダを引き合いに出す人も胡散臭い。あ,そりゃあたしか。ともあれ,デリダについても明らかに偏向した誤読を流布している(あるふぁ)ブロガーさんを,あたしゃ知ってたりする。受け売り大好きな人なんですけれど,この流布は,単純で無垢な誤読ではなく,無理筋にもかかわらず自説の補強に有名人をあえて使う悪意を感じるので,あえてジャブ打っときます(届いてないだろうけど)。

話が逸れてしまいました。本書は政治思想の話。〈人間〉を条件付けているものを通じて,あるべき政治の空間を模索しつつ,それとの対比で疎外される〈人間〉を指摘してます。今読んでて思ったんですけど,これは『全体主義の起源』を読むのが先だったな……とか。

アレントの著作を読むときに思うのは,価値的な表現に対して中立的に読む必要があるということだったりします。歴史書としてではなく,理論書として読む,といえばいいでしょうか。アレントは(当然のことながら)全体主義的なアレコレを否定的に扱うわけで,事実,来歴から著作外でもそうした立ち位置にいます。しかし読者は,そうした政治的立ち位置から離れて読む必要がある。

なぜなら,著者自身が政治にコミットした形で読んでしまうと,理論書ではなくただのプロパガンダに陥ってしまう可能性があるからです。それが反全体主義といった,現在主流の政治思想だとしてもそう。アレントの視点や枠組みは,あちこちの方面で応用されているわけですけれど,そうするためには,少なくとも理論書として読む必要があるはず。その意味で,本書は綱渡りするように読む必要がある気がします。

アレントが吐く毒気(政治言説)の中から,理論上,本当に必要な問題への視座とそのメカニズムを探り当てる作業。アレントを読む,というのは,そういう作業のように思えます。

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