今読み途中の本 - ゲーム的リアリズムの誕生

2007/11/06

遅ればせながら読み途中。面白いので,全部読んだら改めて書くかもしれません。ここでは読書途中メモ。

あたしゃ思うんですけれど,オタクなりなんなりってのは,やっぱり実存との関係で考えた方がスッキリするんじゃないかと思うんです。というか,それであたしがスッキリしているところがあるだけなんですけど。

実存というのは,つまるところ,オタク的なモノゴトに「社会」とか「言語」とか「コミュニケーション」とか「歴史」とか「物語」(大小問わず)とか,ともかくソノ手の類のもんは全く無いんじゃないか,ということ(参照:qune: オタクの実存と「萌え」の話)。もちろん,それは欠落とか屈折を意味しているわけではないし,脱社会とか非現実とかいった話でもありません。それらは結局,「私」に対する「現れ」であって,他人と共有したり時代を超えて語り継いだりするような類のもんじゃないんじゃないか,ということです。ということで,オタクは本質的に孤独でなくてはいけない(多分)。

例えば,「共有する」ということは「妥協する」ことでもある。他人との関係で対象を分け合うわけだから,自分勝手なことはできません。で,妥協するということは,「私」を社会や言語との関係で対象化することでもある。つまり,「アニメを見る私」とか,「フィギュアを買う私」を,社会的に認識してしまうということなんだと思います。そうした「社会的な文脈における『私』」なるもんは,おそらくオタク的(と言われるもの)でなくても,いろいろとある。徹底的にパーソナルな「現れ」は,孤独の中にしか宿らないんじゃないか……と。ブルトンの孤独みたいに。

と,こう考えるのは,オタク的なものに対して周囲が不寛容だった時代と,あたしの年代が重なっているからなんでしょうけどね。そういう意味で言えば,あたしが語るオタクも,ただの現れなんと思ったり。

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