「悪いひとたち」という歌

2007/02/12

Blanky Jet City の代表作に「悪いひとたち」という曲があります。『C.B Jim』所収の曲は,どれもいい曲ばかりなんですけれど,おそらくこの曲は最高の部類に入るはず。

中学生の時に買ったアルバムってのは,それなりに思い入れがあるわけで,どうもこのアルバムだけは何度も聴いてしまいます(一回傷つけちゃって買い直した)。そういう思い入れでもってカラオケに行くと,事情の分かっていない面子にドン引きされるので,注意,注意なんですが。

で,「悪いひとたち」の話。この曲,3拍子のまったりした曲なんですけれど,「まったり」に似つかわしくない,こんな歌詞が歌われています。

悪いひとたちがやって来てみんなを殺した 理由なんて簡単さ そこに弱いひとたちがいたから 女達は犯され 老人と子供は燃やされた 若者は奴隷に 歯向かう者は一人残らず皮を剥がされた

(snip)

BABY Peace Markを送るぜ このすばらしい世界へ

この歌詞なんですけれど,あたしゃ今だに考えていて,決まった解答が出ていなかったりします。もう,ほとんど浅井健一氏の考えとは別のところでモヤモヤしてるんですけどね。どこら辺がモヤモヤしているのか。

最初の「悪いひとたち」がやってることってのは,言っちゃなんだけれども,かなりコミカルにデフォルメされた「悪さ」なんですよね。とにかく,「悪い」の典型だ……と。曲を聴いてもらうと分かるんですけれど,歌詞の内容はだんだんと「悪いひと」の個人的な事情に話が向かいます。

で,最後の方に出てくる文句が,「Peace Mark」なわけ……。この「Peace Mark」がどういう意味なのか,モヤモヤしてるんです。

普通に考えると,この歌詞の解釈は3通りくらいあるんだと思います。とりあえず,「悪いひとたち」が自分達を指していることを前提として考えると(そう考えないとただの絵本になってしまう),こんな感じ。

  • 悪いひとたち(である自分達)は悪い人なりに世界を作って暮らしていくんだぜ!万歳!万歳!(手放しで人間を礼賛)

  • 悪いひとたちは存在してはいけない,そんなやつらには「Peace Mark」をくれてやるぜ!(皮肉)

  • こんな腐った世界に自分たちは暮らしているんだよ,バカバカしくなってくるね!(達観→解脱)

けど,どうも上の3つだと収まりが悪いというか,落とすところに落ちてない感じがするんです。解釈としては,ありきたりですしね。そんなことを伝えるために,10分以上も演奏するな!ってなことに……(失礼)。まぁ,どう解釈してもいいんですけれど,もうちょっと面白い解釈ができるんじゃないかと思っているわけなんです。

Blanky Jet City の曲は,「悪いこと」を「悪い」と言わないところに魅力があると思っていて,それはなんだか「絵画」みたいな風景描写に思えることがあります。「悪いこと」を「善い」と言わないのはもちろんなんですが。

どういうことかというと,「悪いひとたち」というときの,「悪い」には「一般的に見ると」といった言葉が括弧で括られている感じがするんですね。「一般的に見ると悪いひとたち」。それに対して,浅井氏は「Peace Mark」を送っている。皮を剥がされたり,燃やされている人に対する評価を評価している,というか,そんな感じです。皮を剥がされている人には目が向いていない……いわゆるメタ視点ですね。

Blanky Jet City の曲には,全部が全部じゃないけれども,こういった視点が含まれている楽曲があります。ドラマチックな物語が展開されているにもかかわらず,語り手である浅井氏本人は,物語の当事者になっていない……。おそらく,この話は,「このすばらしい世界」というときの「すばらしい」の評価にもかかわってくるんだと思うんですけれど,どんなもんなんでしょ。

物語の当事者になっていない,つまり,メタ視点な楽曲というと,『METAL MOON』所収の「脱落」という曲があります。

ジャンキーの歌で暗いんですけれど,大好きな曲のひとつです。

オモチャの兵隊が流されて行った 片足の彼はうまく歩けない 悪魔がドアを叩き 彼に微笑みをかける 小さな部屋の中で 再び彼は旅立つ 壊れたグリーンの瞳で 何を見てるの ミツバチが蜜を吸う時の姿

(snip)

涙が出るまで 太陽を見続けたら もう何を見ても 涙なんか流れない それはきっといい事さ すべてはお前が選んだ青春だから

ここで,「それはきっといい事さ」という時の解釈も,先程の「Peace Mark」を送る態度とすごくよく似ている気がします。あたしは,「壊れたグリーンの瞳で 何を見てるの」というところが一番好きなんですけれど,この問い掛けは「彼」に届いていない。まるで,「彼」は絵画の登場人物であるかのような具合で,それを浅井氏とあたしが並んで見ているような感覚です。

というわけで,「Peace Mark」の意味なんですけれど,この「Peace Mark」も,おそらく物語の登場人物には届いていないんだと思います。仮に,世界を記述する方法を主観と客観に分けられるとしたら,「物語」という世界はあくまでも客観に属しています。そこで浅井氏や聴取者は客観(あるいは一般)としての物語とどう折り合いを付けるべきか,問題になってくると思うんですね。

ひとつの態度としては,そうした「物語」の登場人物になって,「楽しくてしかたがない」とか「こんな世界くそくらえだぜ!」とかいった個人的な境遇を表明する方法があります。私小説的なアプローチと言えばいいでしょうか,ともかくそんな感じです。けれど,これはあくまでも,世界の中の自分を語っているだけで,「その世界」について語っているわけではありません。世界はあくまでもお飾りです。

一方で,浅井氏はこれと逆に,その世界から一歩下がっているように見えるんです。んでもって,個人的に,こうした方法はフェアだし,誠実なやり方なんじゃないかと思ったりします。価値観を押し付けない,というか,そんな意味で……。浅井氏が描く物語は,ときどき意味不明なものも多いんですけれど,抽象絵画を見てるようなもんだと思えば,割と頭も整理できたりします。

結局のところ,「Peace Mark」を送ったり,「それはきっといい事さ」と評価したりする箇所は,浅井氏と物語が邂逅する場所なわけで,ここでの評価に浅井氏の主観がバリバリと出ているんじゃないかと思うわけです。んでもって,それは,浅井氏本人にでもならない限り理解できないんじゃないか,とも。

こうした解釈はあたしが勝手にしているものなので,歌い手本人や他のファンからしてみると,「そうじゃねーよ」とかいった話なのかもしれません。けど,個人的には,こうした箇所が Blanky Jet City の魅力だと思うし,これが無かったらアルバム全部揃えたりしないよ,と思ったりはするわけです。

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